川崎裕一 / マネタイズおじさん

元起業家でスタートアップのコーチやってます。スマートニュース株式会社執行役員。

ウェブ人間論

梅田望夫さんと平野啓一郎さんの「ウェブ人間論」を頂きました。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

梅田さんがウェブ進化論で記したことを含めて広くウェブの有り様、そしてその上の人間の有り様について、平野さんが質問をぶつけて、梅田さんが答えるというのが基本的な構成になっています。

この本での見所は梅田さん、平野さんの議論のスキルの高さです。

ウェブ人間論を単純にとらえ、ウェブ進化論の著者である梅田さんが平野さんの質問に答えていくというスタイルなんだろう、というのは一ページをめくると過ちだということに気づきます。

平野さんはウェブ進化論を極めて深く読み込み消化しています。そして自分が住んでいる世界、つまりは文学的な世界からの視点をもって質問します。梅田さんは答える段に、平野さんからの質問に単純に答えるのではなく、平野さんが次の質問で一段高い議論につながるような答え方をする。そして平野さんも期待に応える。このような極めて高い議論のスキルを本の中に見ることができます。

故にウェブ進化論を読んだ読者であれば尚更自分なりのウェブ進化論の理解を、ウェブ人間論は更に助け、そしてより深い消化ができる本であると言えます。

内容については様々な示唆に富んでいますが、その中からいくつかピックアップしてみたいと思います。

リンクされた脳

梅田

日本である大学の先生に、「学力低下というけれども、昔の学生と今の学生を比べたらどうなんですか」と聞いたら、全ての情報を遮断して何が解けるかなら、二十年前の学生の方が上だったけれど、道具を自由に駆使し友達と協力してもいいから答えを出すということに関しては、今の学生の方が能力が高いとおっしゃっていました。現実社会で求められている能力の大半は後者ですよね。

学力低下が叫ばれています。ですがそもそも学力の定義とは何か。情報が断絶した社会の中ですべて自分の頭で考える能力のことか、いや情報が断絶するなんてことはほぼありえないのだから情報があふれる中で如何に効率よく情報を収集しそれをまとめ上げ自分なりのエッセンスで仕上げることができるかの能力のことなのか。極めて基本的な視点を提供していると思います。

ちなみにウェブ人間論の中では流しそうめんの議論として関連した議論がされています。

たかがネット

梅田

「たかがネット」と考えることも大切かなと思うんです。「たかがネット」って言い方は、ネットの可能性を自ら限定するみたいだけど、やっぱりネットが活きる領域は情報までだと思うんですね。
(中略)
人間はそういうこれまで通りのリアルを生きながら、まったく新しいネットをも生きる。そんなイメージを抱いています。

私も似たような考え方を持っています。ネットとリアルの対決!ということをおもしろおかしく話す人がいますが、私の実体験として対決よりも協業の方がずっと多い。そしてネットにどっぷり使っている人間ほどリアルのすごさを知っていることの方が多いんじゃないかと思います。アマゾンはネットで注文するとリアルで一日で届く。なぜなら本のピッキングから配送まで極めて効率的な物流システムが存在しているからだ。そしてそここそがアマゾンの優位性の一つなのだということです。

「たかがネット」というネットを外からきちんと評価できる視点を持つことはネットを生業にする人であれば必ず持たなくてはならない視点だと思います。

最後に、実は私が最も感動したのは本書の最後に語られる「百年先を変える新しい思想」という部分です。こちらはあえて引用はしません。是非ウェブ人間論で見てみてください。