川崎裕一 / マネタイズおじさん

元起業家でスタートアップのコーチやってます。スマートニュース株式会社執行役員。

私と笠原さん(なんか回顧録みたいになってしまった)

自分のパソコンを最初に買ったのが20歳を過ぎてからというのは、ITベンチャーの社長としては極めて遅いITとの出逢いです。中学生の頃に既にパソコンを使いこなしていたというエピソードを持つホリエモンとは対照的です。

ITとの出逢いのきっかけも、純粋な技術的興味ではなく、米国のIT企業のビジネスモデルの研究であるところも異色でしょう。

私とそっくりと思った。私がパソコンに初めて触れたのは大学2年の時だった。高校のハンドボール部時代の親友が慶応SFCの環境情報学部かつ村井先生のゼミに入っていたことから、彼が私をこの世界に導いてくれた。

だから私にとってパソコンとインターネットは、同じタイミングで扱うことになった。パソコン、ケーブル、モデム、電話。それらが一体となったものが最初から私にとってのパソコン、インターネットだった。

祖父が製麺業、父が食品卸売業と二代続けて自分で会社を作ってきたことあり、小さいころから会社をやるということに関しては興味があった。両親は小さいころから、私に会社がどうするべきかという意見を求めてきた。そして会社というのは、多くの人に支えられているものであることも学んだ。例えば社員、社員の家族、取引先、取引先の家族、地元の人たち、様々な人たちだと。特に母親は、農家の出だったこともあり、「損して得取れ」「情けは人のためならず」「感謝の心は忘れない」の価値観を重視する人で、その価値観は私にも引き継がれていると思う。

話がそれたが、そんなわけで経営には関心があり、インターネットも好きとなると、選択肢はアメリカのIT企業のビジネスモデルの分析、シリコンバレーがなぜIT企業を次から次に生み出していけるのか、日本ではなぜIT企業が生まれないのか、そしてなぜIT企業からは金持ちが生まれないのか、、、というのに自然に関心が行くようになった。大学のゼミの卒論は、ポータル事業に関しての考察だったので結構筋金入りのマニアだったと思う。

笠原さんとは、確か大学4年に初めてであったと思う。私は当時松山太河さんに発掘されたネット好きの若者たち(山岸広太郎、田中弦、田中良和、小川淳など)とよく議論していた。その中で、私は「日本にはIT企業に特化したディレクトリサービスが無いし、ベンチャーキャピタルのディレクトリも無い。きっとそんなディレクトリサービスがあれば、これからベンチャーやる人間も資金調達の時に便利だろうし、VC側もベンチャー発掘の際に便利だろうから作りたい。」と考えていた。この案を具体的に一緒に進めたのが笠原さんだった。名前は、netにtryしようということで「netry.com」とした。今考えれば恥ずかしいぐらい直球だ。

Netry.com

笠原さんは、当時からすごく堅実で、実務家肌、物静かという印象だった。当時、渋谷界隈はビットバレーブームの前夜という感じでほぼ全員が浮かれている中、笠原さんの印象は逆に異彩を放っていた。私はどうしてもこの浮かれた感じが好きに慣れず、ネットを知るなら階層の低いところから知りたいし、シリコンバレーに本社のある会社に勤めたいということで、シスコシステムズという会社に入社した。

1年ほどたって米国でネットバブルが崩壊し、程なく日本のそれも崩壊した。

その後は結構ご無沙汰していて、最近また時々会うようになった。成功と失敗は紙一重で、成功しかけると様々な誘惑も多く、ともすれば勘違いしがちなのだが、笠原さんは、相変わらず淡々と着実に事業を展開していて、FindJob事業を確立し、mixiによるSNS事業確立しつつある。尊敬できる友人です。