川崎裕一 / マネタイズおじさん

元起業家でスタートアップのコーチやってます。スマートニュース株式会社執行役員。

編集力というスキル

「俺ら、戦のプロだよ」みたいに威張っていた幕末の武士の姿に重なって見える。実際は、鉄砲というテクノロジーで武装した農民が、あっさりと「戦のプロ」であった武士を打ち負かすのだ。

刀で武装した侍と銃を持った農民が1対1で近距離で戦った場合刀の侍が勝つ確率はそれなりに高いだろう。

しかし銃を用いて、距離を十分に保って隊列を組み、弾を切らさぬよう十分に配慮した上で、連続的に射撃していくことができれば、刀を用いて、隊列を組んで向かっていった侍は、ほぼ無残な敗北を喫するだろう。

この違いは何から生まれるか。田端さんは一見するとテクノロジー、ここでは銃と刀だけの問題として、おそらくはあえて、シンプルにしている。

私はあえてそこにテクノロジーに加えて、組織という二番目の要素が大きいのではないかと考える。テクノロジーを組織的に採用し、自らの目的達成のために使うことができるか否か。そこが大事なんだろう。

そして編集者というものをとらえた場合にも同様なことが言えないだろうか。

編集力を十分に持った編集者と、そうではないひとが、情報を人に効果的に届けることを目的においたネットのサービスを運営するという土台の上で戦った場合にどうなるか。

私の個人的な感覚で言えば、編集者というスキルは形を変えてこれからも生きていく。むしろ情報が溢れるなかで如何に物事を対局大局としてとらえて、エッセンスを抽出し、過不足なく、公平に伝えることができるか。その力を編集力とあえていうならば、それはますます希少性を増して、求められていくのではなかろうか。